■石畳通り


湯の街・湯平の表通りである石畳通りは、今から約300年前の享保年間(江戸中期)に整備されたものである。

以来、ほぼ当時のまま現在に至るまで活用されており、通りに点在する古い建物群と相まって独特な風情をかもし出している。


当時、湯平に山汐があって温泉場が流失し、その上疫病も流行していた。







困った村人は、稙田(わさだ・今の大分市)の小林寺の住職・寒岩和尚に病魔退散の祈念を依頼する。

折りしも、寒岩和尚の徳を慕って大空離幻が奥州より来ていた。

もとは武士であったというこの豪僧は、寒岩和尚に代わって湯平に赴き、祈願の上、これを鎮めた。




また、谷村の工藤三助兼治と共に熊の坂に橋を架けるなど、温泉場の整備にもあたった。

今に残る石畳の道は、この時に整備されたものであり、彼らは湯平温泉の中興の祖として敬われている。