■湯平とその周辺地域の地名の由来

◆湯平

湯が沸き出る平らな土地であることからその名がついたという。

この「平ら」というのは、水平という意味ではなく、凹凸のない土地という意味であり、斜面であってもその名がついており、湯平にあった旧集落名で、小平、平原、影平という集落名にも用いられている。



◆花合野(かごの)

この地域は多雨湿潤であり、楮(こうぞ)の木が自生しており、古くは楮のことを「かご」と呼んでいたことから、「かご」の自生する野ということで、この名がついたらしい。
尚、楮の木は皮を採取して、布衣の材料として用いられた。



◆由布院

「由布」の地名の由来はいくつかの説がある。

まず一つは、「ユ」が「斎」、すなわち心身を洗い清めるとの意で、「フ」が「〜の場所」との意、つまり、「ユフ」とは「心身を洗い清める場所」として神聖視されたことによるという説である。
秀麗な由布岳に対する古代人の素朴な信仰心からその名が生まれたのであろうという。

そして、もう一つは、この地域にも楮(こうぞ)や栲(たく)の木が自生し、これを材料に木綿が作られ、木綿(ゆう)の里と呼ばれるに至ったという説である。

豊後国風土記に

「此の郷之中に栲樹多く生す、栲の皮を取り、以て木綿(ゆう)を造れり、因りて柚富(ゆふ)郷」と曰ふ」

との記述がその根拠だという。

ともあれ、万葉集にも「木綿山(ゆふさん)」との文字が見える。

おもいずる 時はすべなみ豊国の 木綿山雪の けぬべくおもほゆ

おとめらが はなりの神を 木綿の山 雲なたなびき 家のあたり見む


当初、木綿(ゆう)と呼ばれた地名が律令時代に入ると郡名としては好ましい字を用いるべし、との勅命により、柚富郷と名づけられることとなった。

さらに平安時代に入り、和名抄により由布郷と改められ今日に至っている



ところで、由布院の地名についてであるが、そもそも「」とは何であろうか?

これは奈良の正倉院などと同じく、中央政府が農民などから徴収した租税を貯蔵するために倉庫を建て、築土をめぐらしたものである。

本来は一つの郡に一つの院が置かれるのが原則であり、郡司が政務を執る場所(郡衙、郡家)に置かれるのが普通だったが、郷が僻地にある場合に特別に分院が置かれる事があり、この時に由布の地にも院が置かれたことから、これが後に地名として定着したのである。(その他の地域にある、野津院や安心院、伊集院なども同様である)